「不思議なものだな、いつの間に、そんな回路を構築した?」
「いつと、明確に申し上げることはできません。
この私自身、それがいつなのか、何がどうなったのか、わからないのでございます」
-『迷宮百年の睡魔』 森博嗣著 新潮社 2003年 P470より-
『新しい交流分析の実際』 杉田峰康著 創元社 2000年
“時期”が来たから手にとることができたのだろうか?
カウンセリングを学んでいて一番惹かれたのが、パールズが提唱したゲシュタルト療法。
内的な体験を象徴化して意識させ、その気づきによって治療するという方法は個性を尊重することに繋がると思ったから。
今感じることは、ゲシュタルト療法はそれ単体以上に、他の療法との組み合わせた時に、その効果をより発揮するのではないかということ。特にTA(交流分析)との相性は抜群のように思う。
個人的に目指しているNR(ネイチャー&リラクゼーション)の【セルフツリー】もこの流れのような気がする。木の成長の過程は【人生脚本】と呼応するのかもしれない。
そして、それを行うのが“グループカウンセリング”つまりWS形式が良いというのも大きなポイントかもしれない。
なぜなら、他人(主に親)に決められた脚本を捨てて、自分の人生に責任を持って歩き始めるというのは、“生まれ変わる”ということ。そこには“自由”があるものの、同時に“厳しさ”も生じることになる。
生まれ変わった赤ん坊はか弱い。だから、特にプラスのストローク(心理的メッセージ)が必要になる。沢山のプラスのストロークがあれば、それだけ自分に自信を持つことができるので、グループで行うことに意義があると思う。
そしてカウンセラー、つまり提供者としては安全な場の提供も心掛けることも重要。
こうして思い返してみると、グリーンチムニーズに出会ったことも偶然ではないのだろうな。
最近、“ヴジャデ”という言葉にも出会った。
これは、何回も経験したり見たりしているのに、初めてのことのように新鮮に感じること
この本にしても、一年くらい積読にしてあったのに、なぜか読みたくなって手にしたもの。
内容自体は目新しくないものの、今の自分に必要なものが書かれている。
“真の価値”を理解するには、それなりのレベルが必要ということなのだろうな。
一年前の自分が読んでいたとしたら、もしかしたら二度と読まなかった可能性も高い。
そう考えると、とても大きなターニングポイントになるのかもしれないと切に感じる。